2009年06月13日

日々の気づき〜趣味と仕事の違い

村上龍が「無趣味のすすめ」を出版したそうだ。JMMのメーリングリストには、こんな村上龍の文章が掲載された。

 まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向けに、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自然にプロを目指すだろう。

 老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれらを守ろうとする。だから自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇することを避ける傾向がある。

 わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画制作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外のリゾートのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味とは言えない。

 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。

 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
                                   
                                   村上龍



僕は村上龍が大好きで、ここ3年ほどの著作はキャッチアップしていないが、それ以前の著作は全て読んでいる。

「真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。」


この部分に、誰も異論はないだろう。ということは、仕事の定義は、一般人と村上龍とでは同じ、ということだ。
しかし、村上龍はスキューバダイビングやテニス、サッカー、ワイン、キューバ音楽などにはまってきたはずだ。でも、それらは趣味ではなかったらしい。ということは、一般人と村上龍とでは、趣味の定義が異なる、ということなのだ。

あまり村上龍の文脈に捉われないために、あえて「無趣味のすすめ」を読まずに、一般論として「趣味」と「仕事」について考えてみた。
(冒頭の村上龍の文章は、「趣味」と「仕事」について考えるきっかけを与えてくれたので感謝したい)



僕個人の話を整理しよう。
一般的な趣味の定義は、goo辞書によると「専門としてではなく、楽しみにすること。余技。」ということらしい。
趣味を人に聞かれた場合、僕は、アウトドア、ギターを弾くこと、カラオケ、飲み会、読書、映画、と答える。まあ、一般的な部類に入るだろう。
特にギターには最近、はまっていて、学生の頃の熱が再燃して大変なマイブームとなっている。
確かにこれらは、僕の「楽しみ」だ。でも、「仕事」ではない。
でも、この楽しみがやがて仕事になっていく可能性がない訳ではない。例えば、ある日、ライブをしていたらEric Claptonに見初められてプロのギタリストになるとか。。。
じゃ、この場合、「楽しみ(趣味)」=「仕事」になって、その状態が続くのか?

いや、きっとそうじゃないだろう。それは、もう「仕事」になっていくだろう。

もちろん、100%が「仕事」の感覚ではないかもしれない。でも、今まで100%が「趣味」の状態だったのが、数パーセントなりとも「仕事」の感覚が入ってくるのは当たり前だろう。そして、少しずつ、その割合は増えていくはずだ。

何が境界線なのか?

お金?

責任感?



逆に、いつまでが「趣味」の状態?



僕の答えは、こうだ。


「(未来の)可能性が見えた瞬間、それは趣味から仕事に変わる」


要するに、家でギターを一人で弾いてる分には、趣味だ。
責任もなければ、報酬ももらわない。とにかく、やっているだけで幸せで楽しい。
(僕はこの状態を批判しないし、趣味は趣味で大事だと思う。でも、タイプによると思う。ビジョン型の人は、仕事に重きをおき、趣味に重きを置かない。価値観型の人は、趣味に重きを置き、また趣味で幸せになれるタイプの人たちだ。ビジョン型と価値観型については、過去のエントリを参照。村上龍は、ビジョン型の人しか認識できていないと思う。僕はビジョン型なので、村上龍の言うことは個人的にはよく分かる。が、それは全ての人間にはあてはまらない。)

でも、どんどんとうまくなっていき、自分に自信が生まれ、「将来、プロになって、自分の作品やライブをもっと多くの人に聞いてもらいたいな」という希望、可能性が見えた瞬間、そこからが仕事の割合が入ってくるのだと思う。
もしくは、Eric Claptonに声を掛けられ、自分の将来の可能性が見えた瞬間だ。


ま、実践論的には、「仕事」と「趣味」の境界線なんてどうてもいい。

ここで大事なのは、「仕事」することに誇りを持つべきだし、誇りを持てるような「仕事」を選ぶ、ってことだ。
posted by コッティ at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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